週末、かつ歳末の一心寺。参拝者の賑わいを避けて霊園をぶらぶら。
台地の縁、視界の片側には通天閣。
一際大きな墓石。
幾度も往来する身とおもへ人
つとめながらに帰る順誓
順誓が心のうちに咲く花も
空海どのとかはることなし
萬法みな
南無阿弥陀仏
明治廿六年十月建之
心の花の事なので詮議できないが、俺は弘法大師と同じくらい偉いんだと威張られているような気がする。
その少し東、比較的慎ましい墓石。
殖種徳本信士 辞世
エンジンがとまりしからは せいもなし
尻に帆かけて 弥陀の浄土へ
海運業を営んでいた方なのであろうか。
内燃機関が動かなくなったので、尻に帆をかけて風に西方浄土へ運んでもらおうというのである。
本当はもっとばりばり働きたかったが、寿命が尽きたんだからしょうがない。一足先にあの世へ行かせてもうらうぜ。あばよ。
気っ風の良さが偲ばれる。
明治廿四年五月建碑
一観亭鳴鳳之碑
辞世
眠気さすように思ふて 南無阿弥陀
はやお迎ひにこさったかさて
永貞謹書
あくび交じりの称名念仏。なんともトボケたご臨終のスケッチである。
狂歌師であったとか。
隣は俳人小西来山の墓。
湛湛は号の一つ。境内に翁の句碑も一基ある。
時雨るや しぐれぬ中の 一心寺
この人の句碑についてはまたいつか触れようと思っている。
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