2013年12月9日月曜日

霜月は神のまにまに胸算用



八軒家浜にてちゃんぽん定食。乗船ならぬ乗車。京へ向かふ特急電車。乗り合う若い娘がみなおけいはんに見ゆる。とは言へ平日の午後。若い娘などまこと見当たらぬ。


かつて我が行き来も頻りなりしこの車窓。ご無沙汰なれば、読み止しの本おき、窓外の景色にこころ遣る。














つくづくと ながめをればや ふゆこそは そらぞかなしき しぐるるまでは


丹波橋にて乗り換へ、近鉄。市営地下鉄。乗り合ふはみな京おんなか。



北大路。かつて通ひし店など変はるも変はらぬも。大谷なる大学の前過ぎ、異国の文書商ふ至成堂書店にて、パーリ聖典協会発行せし大蔵経など漁り小一時間。日も傾く紫明通りを下る。


鞍馬口あたり徘徊し、御霊神社を拝す。













前の大きなる戦、京童に問はばいまだかく答ふとは、誰か信ずべき。

境内、手水舎の先に蕉翁の句碑あり。



















半日は神を友にや年忘れ

陽の暦なら師走、まこと慌しく、演歌歌手にはあらねど、忘れてしまいたきことや、先送りにしたいこともあり。翁の句のめでたさよ。
















拝殿の脇にもう一基あり。















上御霊のみやしろに詣でてよめる
千早振 神のみめぐみ 深くして
八十ぢに満つる 幸を得にけり

昭和三十一年十月4日 新村出

ご近所に住まわれていたそうだ。こういったものもあると一応録す。


本殿を拝し右遶。裏に坐します神明の社。















すたれたる みやにももみぢ にしきせば ふみまよふかみも こころゆくなり


後に明らむ。祭らはるるは天照大神。今年伊勢は耳目集むるとぞ。まことに不敬と責むらるるも已むなし。

































宵の明星を仰ぎつつ御所を迂回す。

















図らずも南に在すもう一つの御霊神社を拝す。





























たたりなす こころなけれど ひとはいさ うらみぬやみに さそはるるなり


松本松栄堂のウィンドウ。白隠禅師かな。














此れでも 面壁の達磨かと



“うしろすがたのしぐれてゆくか”と、山頭火の句を思ひ返せしが、ここはパラフレーズしておかん。


時雨そふ 後ろ姿に あらざれど あしは途ふむ こころそぞろに