2012年10月15日月曜日

愛染坂を下れば枯野もメイドの美脚がかけ廻る



妖精カフェに行きたかったのだ。


数夜前に参加した कोकोरूम のクラッシックレコード鑑賞会。そこで耳にしたティボーのヴァイオリンが奏でるフォーレの子守歌。主催の佐竹店長に問うと日本橋にあるそのカフェに販売委託、CDが置いてあると言う。



もう昼下がり。今日は四天王寺には参らず、坂を下ろう。


地下鉄の出口を上るとそこは六万体。太子の造られた地蔵尊が六万体、土中に眠っていてのその名の由来という。


サバ云うなこのヤロー(ex.“五万節”クレージーキャッツ)

















光徳山真光院門前。偶々開門している。そういえば入ったことが無かったので、門を潜る。















六万ならぬ六地蔵尊の前を過ぎると無縁佛供養塔。




































墓域の突当たりにあった一基。
墓誌銘が半分近く剥落している。

拾い読みしてみる。


寺邑人少善歌。歌辞超逸…。

銘曰、奇韵奇操。人實如蘭。狂風花落。芬芬…。

村上と謂う姓の明治人、歌人として知られた人の墓ということは辛うじて分かる。

この人についてもっと調べられるかな。

撰文は府下いたる所で出くわす藤澤南岳のもの。





















新しい神も。



















山門を出て愛染坂へ。















やはりここは愛染さんも参拝しておこう。


境内をぐるり。




















































いよいよ下る石段の手前は大江神社。




















本殿の左、廃仏毀釈と取り去られたであろう本尊、毘沙門天を守っていた狛虎。今は自身が阪神タイガースの守り神だそうだ。





















額堂と石段の間に句碑一基。各碑面に一句。




















あかあかと 日はつれなくも 秋の風
はせを

蕉翁の句、もともとは奥の細道行の終わりの頃、初秋の金沢辺りで詠まれたものである。


行き暮れて沈む日であるが、まだ夏のまま、赫赫と身を責める。あぁ、それでも秋は立つ、風の涼しさよ。と、言うのである。



この地が古来夕陽ヶ丘と呼ばれることから選ばれた一句と思われる。



今日はもう中秋。日差しがもう柔らかいことを差し引いても、いま一つしっくりこないなぁ。



そもそもここの夕日は、西方浄土を臨む夕日ではなかったか。


それとも何か俳諧的ひねりが入っているのだろうか。


他の碑面の句。




















春風の 夜は嵐に 敷れ鳧 
暁臺



















綱の子の 名にやあるらん 杜宇 
三津人家父 千季



















よる夜中 見ても桜は 起きて居る
三津人

森川竹孟書 山中松年画

文化丁丑秋 月夜庵社中建之

















碑の捨て所。




















建設中のあべのハルカス。

















石段を降りる。
"百歳の階段”だそうだ。



















下寺町に出る。



















空調完備、お墓のマンション。


一旦、松屋町筋を渡ったが、振り返る。
















史跡を示す道標。

この辺りはよく歩くが、専ら日が傾いてからなので、門が開いているのは初めての見た仏智山円成院極楽寺。


俗人宅と変わらぬアルミサッシ扉。

躊躇わせるところがあるが、今日は侵入。



















道標に説明もあった植村文楽翁之碑。でかい。















お宅の脇を抜け奥の墓域へ。

















人形浄瑠璃に縁の名が多そうだ。
小生に斯界についての知識は無いが。



















死者に食物を供えるという習わしはあるが、死んでまで飯を食わねばならないものなのだろうか。
米のある安心というのは分かるが。


行き止まりに歌いかける碑が。



















夢の世に 夢を見に来て 夢さめて
また見なをしに 死出のたびじへ

輪廻完全肯定である。

満ち足りた人生を送った人なのであろう。



















慶応二年寅建之 釈尼智証



奥の墓域から戻る。お宅と無縁佛に挟まれた小道。



















































名号碑。ここは時宗の寺であった(る?)ようだ。



















日本国中念仏弘遍大導陟
南無阿弥陀仏
○○遊行五十七世他阿上人一会書

一遍流の行書体。
その踊り振りから上人達に引かれ遊行する人々の姿を想おう。



















六字名号一遍法 十界依正一遍躰
万行離念一遍證 人中上々妙好華

熊野権現が智真と名乗っていた上人に与え、一遍という名の由来となったという。句の頭文字を拾って“六十万人の偈”。
















名号碑の見下ろす先、松屋町筋寄りに殆ど表面の剥落した墓碑。



















その右に頭の欠けた句碑。絶筆句 旅……病……。

蕉翁のものではないか! もう一度墓碑を見る。

微かに芭蕉翁墓と読み取れる。

思い返せば桃青忌は10月12日。


遅れてごめんなさい。


途に着こうと振り返る。門の傍に倒れた碑一基。

































芭蕉茶屋とある。

一体、どのような茶屋であったのであろうか。

蕉翁自身が自身の名を掲げた茶屋を営むというのは想像できないので、翁の名を借りたタレント・ショップのようなものか

どんな風流韻事が繰り広げられていたのだろうか。
















妖精カフェを探しに、愛染坂につづく道に戻る。















良運を求める人々。















通称軍艦アパートがあったのはこの辺りか。



















通天閣を臨む。
















電気屋街。















変な見出しを付けた言い訳のショット。





















妖精カフェに入り、妖精コーヒーを注文。

目当てのCDはもう売れてしまっていたようだ。



いつもならこの後、界隈の中古CD屋を物色して、最寄の駅から帰途に着くところだが、まだ陽が残っている。


数日前、JR環状線車窓から目にしたफ़ेस्थिवल घेत跡地の光景を確かめに行こう。





















街角に秋の稔り。


















फ़ेस्थिवल घेत跡地は更地。

























誰の意に依ってか、残された女神。


行政的紆余曲折の中、ここも一時は風流韻事が繰り広げられた場所であったことを憶えている。





下手な句は捻らず、翁の夏草なども思いつつ、古歌を引いて締めくくろう。


津のくにの 浪速の春は ゆめなれや 葦のかれ葉にかぜわたるなり


  西行法師