2012年9月3日月曜日

お彼岸まえの紀州街道は此岸もまぼろし




お彼岸を暫く先に、此岸をぶらぶら。

紀州街道沿いには良い感じの共同墓地が多いのではないかと、あたりをつけて東羽衣駅より南に下る。













三叉路に地蔵尊、かと思いきや交通安全観音。

























陶器製。祠はアルミサッシ造り。


通り過ぎた、おそらく犬小屋も扉はアルミサッシであった。







高石神社に参る。























さすが音に聞く、たかしの浜。
歌碑、句碑が数基。






















熊野詣の途上の貴人が立ち寄ったところでもあるらしい。





















遥拝所。
















小生も一、二首。

まつかぜの 通へる宮の かたすみの 捨てられし神と あびる木漏れ陽
















われなにも おもうこと無し ふみづきの みや閑かなり かぜの涼しき




高石墓地。 























力士の墓かな。





















ここにも行基菩薩の足跡。
















さらに街道を行く。
















田中家住宅。殿様もここでご休憩。







































徳本上人名号碑。

この独特の"南無阿弥陀仏”を他所でも見た記憶が幾度かある。
近世の生き仏のなんとも軽みのある書。
この上人については、いずれまた調べてみたい。

















泉大津市営春日墓地。



 

















墓域内、上品寺にある仏足石。
























はじめ二字の熟語と読んでしまったが、姓名なのであろう。






















大正四年五月出生。性豪放而磊落也。昭和十五年京都帝国大学卒業。昭和十六年四月入隊。於太平洋戦争武勲赫々。惜哉。昭和二十年六月二十日、於沖縄陣地遂壮烈戦死。

人は名に縛られる。名の付け方には気をつけたいものだ。



















これまで見たなかで最大の無縁佛供養塔。






















南東側からからピラミッドに向かう碑。





















無縁聚骨之碑
佛説八福田無遮會爲第八福田也
爰有希有人稱油谷吉松氏泉北部大津町之生産
也幼失父奮厲刻苦終爲一家齢及初老遭千病没
嫡子清吉悟世無常焉偶於上品精舎受五重相傳
所感宿縁當発菩提心専修浄業發意所願以當三
味中之無縁墓碑欲合祀塔造立是布施行作甚至
難正熟因縁而身自當之獨費私財雖身心労苦無
窮終始一貫且無患厭色則大正拾年六月起工仝
拾一年八月成就
   願籍此修善無縁羣萌速疾得脱證大菩提
          余随喜 沙門 浄譽 銘



このように由来を明らかにする碑が、傍にあるのを今までのところ他に知らない。


























いつでも猫が道案内。


同じ墓域の北西辺にロシア兵墓地。
















ここでは造花も十分美しい。








 




南へ抜ける。


隣接して石屋、垣間見るとそこにアメリカのイメージ。














ぬらさじと おもへど時雨る あめりかの おもかげこそは あだしなりけり