2012年1月24日火曜日

ミナミハマ!




渡ったのは去年も暮れ三十日。
年の境を挟み、正月気分を引っぱりたいのである。


新淀川大橋、敢えて北より。
大鳥居越しに境内、初詣の支度か職員がホースで水を撒いている。


参拝も軽く、社殿の左傍らを進む。突き当たりに句碑一基。


















置く露や置いても置けぬ置き処 壺月




面白い句だと思う。借りの宿りもままならないと言うのか。


伊勢物語の一段にある歌を引きたくなった。


白玉かなんぞと人の問いしときつゆとこたえて消えなましものを


そう言えばここから江口もそう遠くはない。


俳人・壺月については未詳。




















句碑は遥拝所碑と並び茂みの奥に。


神社の現経営者としては、こういった物の置き所に困っているのかもしれない。
















歌道に縁のある神社ではあるのか。


















南に下る。新御堂筋の一筋東、源光寺の門前、東海道本線の高架をくぐり。南濱墓所。








































日本で最初の墓場だそうだ。火葬もここが起こりという。






































つつましい一基。




「何の木や」以下が剥落している。
総合電気メーカーのテレビCMのメロディーが頭の中で繰り返す。気になる、気になる。


ピカピカした御影石に無粋な機械彫の文字というのは一つも見当たらない。


















読むべきものが多い中、ゆかしく感じた一基を挙げる。






















(篆題)児神
  女名波二。姓龍田。難波産也。幼而才敏。異於衆児。 六  
歳好読書。能草書琴瑟成章。一日罹痘疫而医薬不   
遺言曰。詩曰。無非無儀。無父母詒罹。嗟父母無憂。我死 
皆涕泣言。天凶才児。可貿分身。以易之矣。其愛惜於人如
此。享保甲辰五月十九日生。辛亥七月十九日卒。年八歳。葬
于北濱之地。作一絶。以述哀情。云。


窈窕女児吟読声。餘音触耳愛情清。
一朝嬰病命頓絶。契闊死生足誦名。


龍田氏が疫病に急逝した娘を祀る墓誌銘。


こういった文章は先ず人の生前の有り様を讃えるものであるし、親馬鹿も入ろう。六歳で読書を好み、草書、琴瑟を良くした、という所まではふむふむと読んだ。
八歳(数え年だらか実際は七つ)の娘がこと切れる前、詩の文句を引いて、私が死んでも悲しまないで、と言ったというのだ。
後で調べると詩経・小雅・斯干からの引用である。




末尾の七言絶句を訳してみる。


かわいい娘が本を読んでいる。
その声が耳に届く度、愛しさが増す。
ある朝突然、病が娘の命を奪った。
生死の隔たりが私に娘の名を呼ばせるのだ。




漢詩で娘を失った悲しみを述べるというのは現代からはとても遠く感じられる行為であろう。
詩の巧拙など分からないが、これは真情が胸に来た。
























大阪三郷大火
五十回忌追善供養
焼死水死精霊


















新御堂筋に戻り、向こうは茶屋町。ビル間の道を抜けて阪急梅田駅下。かっぱ横丁、古書街をぶらぶら。


中尾松泉堂は値の付け方が辛いのでもっぱらウィンドウショッピング。
















春のはじめの酒ほかいのうた


初春のけふの豊御酒
ゑらゑらにかくしのみてな
よろづよまでに
          宣長




値は付いていない。真蹟なのであろう。




正月だ。美味い酒だ。
にこにこと、こんな風に
ずっと飲んでいたいね。


と、言うのである。











2012年1月4日水曜日

遅ればせながら謹賀新年。





例年、大晦日か元旦から、勤め先の関係とこれまでそんな遣り取りの続いている知己、或いは一方的に送りたい知己、合わせて四~五十名に宛てての年賀状を作製し始めてしまっているのだが、今年は一日の昼過ぎ、初詣を兼ねて散歩していて漸く構想が固まった。


やはりこの所の小生の関心事、いしぶみ(碑)として皆様の迎える年を寿ぎたい。


実は少し前からそんな句碑を墨絵に描けば良いかと思っていたのだが、どうもまどろっこしい。
で、適当な大きさの石に“謹賀新年”と刻し、それを拓に取り、葉書に貼ろうと決めた。小さなメディアはより直接的/触覚的な方が良いのだ。




石はその帰り、道端で手頃なものをいくつか拾った。


しかし、文字を彫ろうとしても篆刻用の印刀も目打ちも歯が立たない。タガネでは大きすぎる。


明けて二日、この日から開店の近所のコーナンで道具を物色、購入するが、ちゃんとした石工用のものは無く、結果は同じである。
結局、ガラスや金属の表面を装飾的に加工するのに良く使われるルーターのキットを購入。電力に頼るのは不本意であったが、これで何とか彫り進められる。


始めは刻風を龍門二十品に倣おうとしていたのだが、起筆や転折の角をとても表せそうにない。
結果的にではあるが、もっと素朴かつアブストラクトな漢代の開通褒斜道刻石の風韻をねらった。
選んだ石の表情も似ている気がする(本は大きな崖であるが)。
http://www.shodo-journal.com/knowledge/classic/ckaitsuhoyado.html




















しかしその夜、四行予定していた所、二行目半ばでダイヤモンドの研磨針は摩滅。葉書に住所、宛名を書くことで夜を明かす。


三日、開店を待ちコーナンにスペアの針を買いに行く。
又、これも今回初めてなので拓を採るためのタンポの材料、綿と布をLifeでついでに買って帰る。
彫り進める。残りの行、文字の画数が多かったため、2本セットで買ったスペアも摩滅。細かいところが仕上がらないので、更にスペアを購入に行く。
宵の口、石に慶春の字句は彫り上がる。


謹賀新年 平成壬辰歳 元旦


















これを紙に写さなければならない。採拓である。画仙紙は半紙の四等分が葉書よりやや大きくちょうど良い。霧吹きで湿らせた紙を石に刷毛で打ち込む。生乾きのところにタンポで墨を乗せる。墨の付け過ぎは禁物、軽く手際よく叩く。これが蝉翼拓である。拓の採れた画仙紙を昨夜宛名も書いた台紙に併行して貼ってゆく。十分乾いたものから、葉書よりはみ出た画仙紙を裁ち落とす。明方にほぼこれらの工程を終え、年賀切手を貼り、人によって一筆添え、落款印を捺す。


職場の人には何とか仕事始めの前に届いて欲しい。葉書約40枚を携え、地下鉄に乗り、40分。中央郵便局、時間外窓口のポストに投函。


寒波に冷やされつつ、市街のあちこちを寄りながら帰宅。






















今、これを記す。






















年賀状を送った人にも、送ってない人にも、遅ればせながら謹賀新年である。