2011年11月1日火曜日

碑の捨てどころ



この日は折口信夫の墓に参ろうと南から木津に向かったのだが、願泉寺の門は閉ざされていた。

少し北の敷津松之宮大国主神社境内に歌碑がある。




















正直、そこで読みきれなかったのだが、家に帰って釈迢空詩集と付き合わせたところを記す。

春はやきこぶしのうれひさきみちて ただにひと木はすべなきものを






難波八坂神社で一休みした後、もうすぐ地下鉄入り口というところ、瑞龍寺に入る。

一切経開版で高名な鉄眼和尚中興の寺という。
















堂宇の南、殺風景なビルの壁に挟まれた霊園に入る。

目を引いた碑の一つを録す。



















洋中溺死墳



















荒波の和める音をかたみにて
くるしき海はあせにけるかな

●● 尾崎正明




















消(?)安政六乙未年十月廿一日



















維旹(時)嘉永七年寅霜月●●●●
発起主 河内屋治兵衛門謹建●


大正橋の東詰めにも嘉永七年十一月の大津波のことを記した碑があった。


「あせにけるかな」とは浅くなった、潮が引いたという意。


多くの命を飲み込んで引いていった海。今は穏やかな水面を前に呆然と立ち尽くす人々の姿を心に浮かべる。




















堂宇の北、道路との境に無縁佛とも見える石が並ぶ。












その中に、



















確かに「芭蕉翁之碑」と読める。



















昭和丙辰は五十一年、西暦1976年。それほど古いものではない。

詰めて置かれているので、他の面が見えない。句も記されていなさそうな気がする。
自立した碑ではないのか。そもそもどういう経緯で造られ、どういう由縁でここにあるのか。












「碑」を「牌」とさり気なく間違えて、麻雀にかけて何か洒落られそうな気もしたが、生憎小生にはその嗜みが無い。


ただ、牌を捨てるところは河(ホー)、積むところは地(チー)と呼ぶらしい。














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