κειφαν乗る人οκειφανなのかい。
今日は宝物を見に天満橋を経て京都へ。
熊野懐紙、後鳥羽上皇、藤原家隆、慈円の三幅を前にしばし佇む。
人波の中、上皇の詠い口の濃厚さに失笑。
近衛信尹の大字仮名の屏風はやはり佳いなあ。
近衛文麿が堂本印象のワラビの絵に賛を添えている。横書き一行。けっこう違和感。

五条坂へ。
大谷本廟を抜け、鳥辺山を登る。
案内板に従い御荼毘所へ。
親鸞聖人奉火葬之古蹟。
更に墓ばかりの登り道の三叉路、
左に肉弾三勇士之墓。
墓石の間を経巡る。
一年ほど前、勤め先のパートの姉さん、友人が先祖の墓に和歌らしきものが刻まれているのだが、読めない。君の職場なら読める人もいるのではないかと、持ってきた拓本を読んであげたということがあった。曰く。
苔の下に朽ち果てん名を思うかな
まだ消えやらぬ露の身にして
人の命は昼を待たずに消えてしまう草の葉の上の露のようにはかないというが、苔むす墓石の下に朽ちてゆく肉体のように、その名というものも忘却に淵に沈んでゆくのかと思う(と、やるせないよ。)
解釈も紙に記し渡したところ、感激した友人からのお礼と言って、上等のワインを渡されるということがあった。
もし次の機会があったらスピリッツ系のでよろしく。
ともあれ、このことがこのブログを立ち上げた動機の一つでもあるのだが、その墓の在所が五条坂を登った辺りと聞いていた。元碑に巡り会えたらいいなと思ったのだが、この中の一つかぁ。
御恩をば知りたるまでも他力なり
せめておきてを守りたきもの
さすが真宗の懐、上の句はよい。下の句、他力まかせでルールを守ろうとしない同行衆に生前イライラさせられていたのか?
有屋無哉の凪に無常の嵐かな 了幸
初句、読みは“うやむや”でよいと思う。
平穏の中に無常の嵐を見るだけなら普通の諦観である。うやむやに終わらせてはならない切迫したことをうやむやに終わらせてしまった。この凪にはそんな恨みが澱んでいるように感じられるが、どうか?本当はリアル嵐が吹いてほしかったのではないか。
明治十八年酉秋分碑建之。
この辺りからは京都タワーが良く見える。
なき跡も名も正声といふからは
幾千代までも人の(つたへん?) 正声自詠
前に掛けられたプラスチックの札に“当墓碑は、参拝者調査の対象となっています。お参りになった方は、この札をはずして当管理所までご持参ください。この墓碑は使用権取消調査の対象になっています。鳥辺山墓地管理所(松田花店)”とある。
うまく声が伝わらなかったようだ。
嘉永五子年四月建之。
小降りだった雨も上がり、うぐいすの声が聴こえる。
うぐいすの声を割って、間の抜けた子供達の嬌声。墓地を抜けると清水寺である。
閉門まぢか。すこし逡巡してから、修学旅行生、外国人観光客に混じり清水坂を下る。
六道の辻を経て駅に向かう。
一月ほど前、青年の運転する自動車によって凶事の起こされた通りを北上。
老舗古美術店の看板を眺めるつもりでいたのだが、ウィンドウ越しに名品。
白隠禅師の一幅。

布袋 舟にのり月見に出かける所
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