お彼岸を暫く先に、此岸をぶらぶら。
紀州街道沿いには良い感じの共同墓地が多いのではないかと、あたりをつけて東羽衣駅より南に下る。
三叉路に地蔵尊、かと思いきや交通安全観音。
陶器製。祠はアルミサッシ造り。
通り過ぎた、おそらく犬小屋も扉はアルミサッシであった。

高石神社に参る。
さすが音に聞く、たかしの浜。
歌碑、句碑が数基。
熊野詣の途上の貴人が立ち寄ったところでもあるらしい。

遥拝所。
小生も一、二首。
まつかぜの 通へる宮の かたすみの 捨てられし神と あびる木漏れ陽
われなにも おもうこと無し ふみづきの みや閑かなり かぜの涼しき
高石墓地。
力士の墓かな。
ここにも行基菩薩の足跡。
さらに街道を行く。
田中家住宅。殿様もここでご休憩。
徳本上人名号碑。
この独特の"南無阿弥陀仏”を他所でも見た記憶が幾度かある。
近世の生き仏のなんとも軽みのある書。
この上人については、いずれまた調べてみたい。
泉大津市営春日墓地。

墓域内、上品寺にある仏足石。
はじめ二字の熟語と読んでしまったが、姓名なのであろう。
大正四年五月出生。性豪放而磊落也。昭和十五年京都帝国大学卒業。昭和十六年四月入隊。於太平洋戦争武勲赫々。惜哉。昭和二十年六月二十日、於沖縄陣地遂壮烈戦死。
人は名に縛られる。名の付け方には気をつけたいものだ。
これまで見たなかで最大の無縁佛供養塔。
南東側からからピラミッドに向かう碑。
無縁聚骨之碑
佛説八福田無遮會爲第八福田也
爰有希有人稱油谷吉松氏泉北部大津町之生産
也幼失父奮厲刻苦終爲一家齢及初老遭千病没
嫡子清吉悟世無常焉偶於上品精舎受五重相傳
所感宿縁當発菩提心専修浄業發意所願以當三
味中之無縁墓碑欲合祀塔造立是布施行作甚至
難正熟因縁而身自當之獨費私財雖身心労苦無
窮終始一貫且無患厭色則大正拾年六月起工仝
拾一年八月成就
願籍此修善無縁羣萌速疾得脱證大菩提
余随喜 沙門 浄譽 銘
このように由来を明らかにする碑が、傍にあるのを今までのところ他に知らない。
いつでも猫が道案内。
同じ墓域の北西辺にロシア兵墓地。
ここでは造花も十分美しい。

南へ抜ける。
隣接して石屋、垣間見るとそこにアメリカのイメージ。
ぬらさじと おもへど時雨る あめりかの おもかげこそは あだしなりけり